たまちゃんの「玉手箱あけたら・・・」その4

★解禁その4★

たまちゃんの「玉手箱あけたら・・・」第4話

たまちゃんの玉手箱が、皆様のココロに響くものとなりますように。
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たまちゃんってどんな人

 (No.1高峰先生) (No.2 三好先生)

 それでは、第4話です

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帰宅して、妻に話をして、 3つの覚悟を決めました。

 1 .診療所の近くに引越し、妻に手伝ってもらう。

 2 .新しくスタッフを雇う。

 3 .子供達を転校させる

次の日の朝、誰もいない診療所に行き、キャンセルの電話をしました。

 3日間休診をして、その間に新しいスタッフを採用することにしました。

タバコは吸う人は絶対に雇わない。

 決めてからの行動は早く、 3日のうちに

新しいアパート(診療所から徒歩10分)、

スタッフ(診療所に張り紙をしたところ、10名の募集があり、そのうち 3名採用)、

小学校(診療所からもアパートからも徒歩5分で真ん中にありました。保育園(小学校の斜め前、健診と講和をする条件で途中入園)を決め、

住んでいたマンションは売りに出しました(アネハ事件で安くしか売れませんでした)。

一番辛かったのは、子供達の転校でした。

 それでも朝、家族全員で家を出て、小学校に長女と次女が行き、三女が保育園へ、学校が終わると診療所で宿題をし、5時になると妻が三女を保育園に迎えに行き、夜 8時にみんなで夕食。

大変だったけれど、一番家族が一緒に行動して、充実した日々でした。

 新しいスタッフは、とてもよく働いてくれ、患者さんたちも戻ってきてくれました。

自分自身も家族に見守られながら働くことに、力をもらっていました。

6ヵ月後、患者さんが増えてきたので、大学から小児歯科の先生をアルバイトで雇い、衛生士も増やし、全てが順調になっていました。

 妻が長女を受験させたいといってきたので、本人と話をすると私や祖父の通っていた都立の受験校に通いたいと言いました。都立の学校を受験するためには、都内に住民票がないといけないので、実家で同居をするか、新しく住む家をさがすか考えました。実家の同居は両親に断られ、マンションに住むことにしました。

さらに 6ヵ月後、都内に引っ越し、妻は働くのをやめ、子供達は 2 回目の転校をしました。

子供達のためによかれと思ったこの選択が、新たな不幸の始まりでした。

 

東京 HTP 2 期 村上 正治(たま)

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CHP研究会 会報誌CHAPPY1連載「玉手箱あけたら…」

村上先生(平成22年発行17号 第4話)

 

読んでくれて、何かを感じてくれたら、嬉しいなぁ

みなさまのココロに届きますように

★シェア大歓迎★

CHP研究会以外の皆様にも広く読んで頂けることを願ってます。

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バックナンバー

(第1話)
http://www.chp.ne.jp/wordpress/?p=831

(第2話)

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(第3話)
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