たまちゃんの「玉手箱あけたら…」その9

★解禁その9★たまちゃんの「玉手箱あけたら…」第9話

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長女が受験を決意したので、親としては果たして受け入れてくれる学校があるのかという問題に直面しました。もともと中高一貫校の都立に入学していたので、やめるのも大変でした。何度も話し合い、ようやく中学卒業という形をとってもらうことができました。

20校都内の学校をまわりましたが、現在不登校進行形の子供を受け入れてくれる学校はありませんでした。それでも諦めきれず、21校目に話を聞いてくれるという学校に出会いました。面接には長女と二人で行きました。

 

学年主任の先生の言葉。

 

“辛かったね。大丈夫だよ。この経験は役に立つよ。本が好きなんだね。

本の好きな子は心が優しくて、柔らかいんだよ。でも、傷つきやすいんだね。“

 

長女は下を向き涙をこらえながら小さくうなずきました。

私は我慢しきれず、初対面で泣きました。

今まで我慢していた気持ちが、心の水風船が破裂してしまいました。

そんな私に先生は、話しかけました。

 

“大丈夫ですよ。お父さん。素直ないい子じゃないですか。

きっといい高校生活をすごせますよ。“

 

決心しました。どんなことがあっても長女と勉強し、合格させると。

 

しかし、中学1年の夏からの不登校は、受験をするにはあまりにも困難でした。

11月から2月までの間に、中学3年間の勉強を取り戻さなければなりません。

私は、仕事を休んで毎日一緒に勉強することにしました。

今でこそ、もう少しうまい時間の使い方が出来るかも知れませんが、当時はなりふり構わず、とにかく全力で関わなければとの思いでした。いろんな人に迷惑をかけるのは承知で、診療所が潰れてもしょうがないという覚悟でした。

 

2月10日、受験の日、次の日には連絡がありました。

すごく頑張りましたね、おめでとうございますと電話がありました。

 

これで不登校がなおり、幸せな高校生活を過ごしました、

となればいいのですが、そんなに簡単ではありませんでした。

 

 

高校1年の夏休み明け、2学期にはいると再び不登校は始まりました。

ショックでした。

9月に妻が救急車で運ばれ、再びどん底感を味わっていました。

なぜ同じことが繰り返されるのか?どうしてこんな事ばかり起こるのか?悩み続けました。

妻が入院した病院にいた時、長女からメールが届きました。

 

 

“パパと直接話すと私はすぐ泣いてしまうので、メールにします。

私は将来がすごく不安です。コミュニケーション能力に自信がないし、人と話すのが嫌だと思う時があるし、何か取り柄があるわけでもないし、そもそも学校にすら通えてないし、生きている意味がないんじゃないかと思いだしたので、パパに救助要請です。

私は今、頭の中が暴走しておかしくなって自分では止められなくなっています。助けて“

 

 

急いで帰宅し、話し合いました。

 

高校に行くようになって、知らないうちにもう大丈夫だと思ってしました。

そのため、外出する機会が増え、家族と関わる時間が少なくなってしまった。

どん底から這い上がり、あとはどんどん良くなっていくと勝手に思っていた。

でも、心の底には不安があった。

これらの話をして、あやまりました。

その上で、自分と長女に問いかけました。

 

不登校ではだめか?

どうあって欲しいのか?

今、幸せか?

 

そして、一つの結果を出しました。

学校に行かなくてもいい。笑顔で一日を過ごし、寝る前に充実感があり、ぐっすり眠れるような毎日を過ごしてほしい。好きな事を、大好きな本をたくさん読めばいい。

 

次の日から彼女の行動に変化が現れました。朝は早く起き、学校には行かず、本を読んだり、犬の世話をしたり、家事を積極的に手伝うようになりました。笑顔が増え、規則正しい生活が戻ってきました。このままでいいかなと思い始めたある日の朝、制服を着ている長女におはようと言われ、驚きました。

“どこに行くの?”

“学校、出たい授業があるの”

“へえ、そう”

その日から、出たい授業と試験をうけ、なんとか高校2年生に進級しました。

しかし、まだまだ試練は続きます。

 

 

高校2年の終り頃、新しい学年主任の先生に呼び出され、面談を受けました。

その先生は、長女に厳しく言いました。

 

“このままでは、3年生になっても受験ができない。このままでは、ろくな仕事につけない。もっと真剣に将来の事を考えるように。いつまでも甘えていてはいけない。”

 

長女は下を向いて、唇を噛みながら震えていました。

それを見た瞬間、私は大きな声で先生に言いました。

 

“彼女は頑張ってきました。今もすごく頑張っています。これ以上は無理です。

どうしてもと言うなら、もういいです。今まで、ありがとうございました。“

 

先生は驚き、いろいろ説明を始めたが、私の耳には入らなかった。

長女の横顔をずっと見ていた。

先生がひとしきり話終えた頃、長女が口を開いた。

 

“もっと頑張ります。衛生士になりたいんです。父と働きます。”

その言葉に、涙が止まらなくなりました。

強くなったなと思いました。

 

その約束通り、3年生になった彼女は、風邪で一日休んだだけで、卒業式を迎えました。

 

 

そして、鶴見大学の衛生士科(妻の母校)に合格しました。

 

これからもいくつも壁は現れると思います。

でも、私は応援し続けます。

次回で最終回です。妻と私の話で締めくくろうと思います。

 

たま

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CHP研究会 会報誌CHAPPY連載「玉手箱あけたら…」

村上先生

 

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みなさまのココロに届きますように

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CHP研究会以外の皆様にも広く読んで頂けることを願ってます。

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