たまちゃんの「玉手箱あけたら…」その10

★解禁その10★最終回!!!

たまちゃんの「玉手箱あけたら…」第10話

どの回も大反響の「玉手箱」とうとう最終回です。

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 玉手箱あけたら・・・その10

妻はパニック障害の診断をうけ、いろんな心療内科を受診しましたが、症状は悪化していきました。
能面のような無表情の顔。 一日中、ただひたすら寝ている毎日。 テレビや本を10分以上見ていられず、何かに怯えている様子

そんな時、私は昔の写真を見ながら、どうすれば笑える日がくるのか、悩み続けました。
最初は、夜中に起きた過呼吸の症状。 救急車、点滴。あらゆる検査をしても、異常なし。 夜がくるのが恐くて眠れなくなり、睡眠薬。 パニック障害と診断されてからは、パキシルなどの薬や抗うつ剤、便秘薬に胃薬、吐き気止めに、肝臓の薬、血圧の薬、めまいの薬。 どんどん増えていきました。 しまいにはコレステロールを下げる薬まで、薬漬けです。
家事は大変でした。 朝のお弁当作り、掃除、洗濯、洗い物、料理。 やればやるほど、今まで妻にどれほど助けられていたか痛感しました。 少しずつ子供たちも手伝ってくれるようになりました。

このままでいいのか?

妻の体重は結婚した時より、30kg増え、自分より重くなっていました。
このままでは駄目だと思い、心療内科の先生に相談すると、消化器科を受診するようにとの 事。 そして消化器科の先生は、初対面の妻に向かって言いました。

 ”だめだよ。こんなに太ってちゃ。肝臓なんか脂肪でみえないじゃない。薬もたくさん飲んでるね。副作用知ってる?なに? 言われるがままに飲んでるの?疑問に思ったら質問しなきゃ。 自分の事なんだよ!” よくぞ殴らなかったと思います。

 泣きそうにうなずく妻の横で、私は怒鳴りました!
”パニック障害でしょうが!寝たきりなんですよ! 今日もやっと来たんだ、電車とバスに乗って。 あんたそれでも医者か!!!” あまりの剣幕にたじろぎながら、 ”はっきり言わないと伝わらないことが多いので、つい言い過ぎました。” そして肝臓がんの疑いとの事で、いろんな検査を受けました。

 出来ない検査もありました。しかし無理に検査をするのは、やめました。妻が出来ないと泣くからです。
 何とかして、私が治すと決めました。

 できる事は何か?
 
自分で勉強して、考える。 肝機能の数値が悪いのは、薬のためだと考え、いろいろ調べました。
 そこで[精神科は今日も、やりたい放題 内海聡] という本に出会い、薬をやめる決心をしました。

その本には、うつ病やパニック障害なんて、病気はないと書かれています。あるのは、薬漬けにする医者とそれを求 める患者と家族。 衝撃的でした。 薬をやめるには、家族の覚悟が必要とも書いてありました。 覚悟はある。 妻に話すと、やめたいとはっきりとした返事がかえってきました。
もうすぐ2012年が終わる。2013年を新たな年にしたい。
そこで、最初は離脱症状で苦しむと考え、年末の休みを利用する事にしました。
 

驚きました。1週間くらいで、顔つきが変わってきました。 一日中起きているようになりました。洗濯をし始めました。 少し笑うようになりました。 1ヶ月後の検査で、体重は10kg減り、血液検査の数字もよくなっていました。先生は、薬をやめたのを知らないので、劇的な変化に驚いていました。

そして、また 薬を貰いました。 処方箋は妻の前で破り捨てました。
眠れない夜は朝まで手を握り、良くなると信じて、待ちました。 どうしても疲れて先に寝てしまうと、次女や長女が起きて来て、話し相手になっていたようです。

そして3ヶ月後、毎日料理を作り、お弁当を作り、家事をしています。 最近では、友人とランチに出かけたりします。別人です。さらに、具合の悪かった時の記憶が 抜けています。 全覚えていません。だから、時々洗い物をしたり、料理を作ったりすると、大喜びします。
不思議です。薬は本当に怖いと思いました。

こんな感じで、今私は、不幸の玉手箱から幸せの玉手箱に変わりつつあります。 なので、連載も終了です。 13号からスタートして、15、16、17号と続き、ここで心が折れて休載し、26号から続きを書かせていただき、今回で終わります。

続けて来れたのは、みん なのおかげです。 黒田先生、池ちゃんには、本当に暖かく見守ってもらいました。 そして、じゅんちゃん、こぶちゃん、みやじー、池ちゃん、やすだっち、なおち ん、なべちゃん、こだまーと自分にメッセージを書いてくれました。これが書き続ける原動力でした。

ありがとう。

 他にもいろんな人のたま評を読みたかったなと少し寂しい思いです。 また、これを書かせていただく事で、いろんな場所で出会う人から読んでますよと声をかけられた時の喜びは、言葉にあらわせないほどのものでした。 もともと泉から湧き出た話ですが、今でも落ち込んだときに読み返して、元気とパワーをもらっています。 これらは、全て諸井先生との出会いから始まったことです。

 本気で向き合ってくれました。厳しい言葉も頂きました。でも、そのおかげで自分自身が少し変わる事が出来たと思います。感謝してもしきれません。そして信ちゃ んとの出会いがなかったら、chpを辞めていたかもしれません。つなぎ止めてくれてありがとう。

 そして、何年もかかりましたが、ついに不幸の玉手箱は壊れ、中か らたくさんの素晴らしい仲間と家族が出てきました。 いろんな不幸があって、本当によかった。 そのおかげで、今はとても幸せです。
 昨日も妻と次女が口喧嘩をしていました。 その姿を見て、私は嬉しかった。

“ママ、元気になったねぇ、怒れるんだねぇ、よかった。”

次女が一言。
 “パパ、器でか過ぎ。ここは止めるところでしょ。”
これからも、たまちゃんと呼んでください。頭は爆発してますが、博士ではありません。
読んでくれて、ありがとう。
見守ってくれて、ありがとう。
これからも、家族と仲間を大切にします。

 村上 たま(幸せの玉手箱)より
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 CHP研究会 会報誌CHAPPY連載「玉手箱あけたら…」
 村上先生 読んでくれて、何かを感じてくれたら、嬉しいなぁ みなさまのココロに届きますように
★シェア大歓迎★
 CHP研究会以外の皆様にも広く読んで頂けることを願ってます。
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